モオツァルト、宮本武蔵、イチローはなぜ凄いのか?天才が気づいていること【中野剛志×適菜収】
「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第3回
■制約のあるところに「自由」がある
中野:小林は、環境に制約されないという意味の「リバティー」ではなく、環境制約の内にある「フリーダム」の方の「自由」について繰り返し語っている。私が非常に印象深かったのが、この対談の第二回で扱った「型」の話です。「型」がなぜ重要か。人間っていうのは環境の制約の内にあり、それと格闘するところに自由がある。環境の制約がなかったら自由もない。「型」とは、その自由の条件である環境の制約なのです。
リバティーだけが「自由」だと思う人には分かりにくいかもしれませんが、環境の制約がないところに自由(フリーダム)はない。言い換えると、自分が選んだつもりでやったことと、環境に強いられてやったことが「一致」するときに、人間は充実感を覚える。それが、フリーダムなのです。小林が『モオツァルト』で書いたのはそういうことです。
モオツァルトは即興を好んだ。即興っていうのは、環境の制約が特に厳しいわけです。「今、ここで曲を作れ」ということですから。それにチャレンジすることでモオツァルトは曲を生み出していった。敢えて時間とか場所の制約を課して、その厳しい環境条件下で創造行為をやることに生きがいを感じていたのです。
小林はモオツァルトの独創を論じて「模倣は独創の母だ」と言っている。模倣とは「型」の模倣ですから、これも環境制約と自由の話と同じことです。『モオツァルト』について小林は「俺があれで一番書きたかったことは自由という問題だった」と自分で言っている。だから、『モオツァルト』という作品は、小林の「自由論」なんです。しかし、『モオツァルト』を自由論として読んだ人って、どれくらいいるのでしょうか。
小林が『モオツァルト』を発表したのは終戦直後ですけど、書いていたのは戦争末期で、書き終わったときには戦争が終わっていた。その戦争末期から終戦直後という、リバティーという意味では最も日本が不自由だった時期に、フリーダムについて書いてるんですよ。それが『モオツァルト』なのです。ところが、小林の近くにいた大岡昇平ですら、小林は戦争が末期になると「『無常といふ事』と『美』の世界に引きこもる」ようになったと批評している。「実朝」以降、終戦まで沈黙したと言う批評家もいる。小林は、沈黙どころか自由について書いていたのですがね。そんな調子ですから、『モオツァルト』についても、芸術の世界に逃げ込んだものとみなされたのかもしれません。しかし、「『モオツァルト』で、俺は自由について書いたんだ」って小林自身が言ってるじゃないか。
適菜:大岡と小林は仲はよかった。大岡は高校生のときに、小林にフランス語を学んでいるんです。それで、小林の勧めで、小説を書き始めた。そういう関係だからキツイことも言う。大岡がテレビに出たときは「あの顔つきではダメだ」と一蹴したそうです。
中野:その大岡が、小林秀雄全集の解説でまったく逆のことを書いちゃったんですね。これほんとに恐ろしい話で……。
適菜:型の話に戻りますが、武道も芸能もすべては型なんです。制約のないところに和歌は存在できない。音楽もすべてそうです。歌舞伎にしても能にしても全部型ですよね。言葉という表層的なもので伝達できないものを、型として引き継ぐのが教育でした。しかし、近代社会においてはこういう考えは不評で、「型にはめるな」とか「型を押し付けるな」などと教員が言ったりする。でも宣長が言うように「意は二の次」なんですね。だから、武道でも芸能でも、子供のときから型を教える。かつての素読でも意は二の次で、古典の原文を丸暗記する。小林はこう説明していますね。《暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言うが、それでは「論語」の意味とはなんでしょう。それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れない。それなら意味を教えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう》(『人間の建設』)。型を極めたところに、型破りは成立するのであり、最初から型がなければ「型なし」です。小林は、「團十郎や藤十郎が、ひたすら型を究め、それを破ることにより技を得た。それはかつての学問のあり方と同じだ」と言っていますね。
中野:おっしゃる通り、書いてます。